クリフトンズ・カフェテリア
 
 FGBMFIは、アメリカカリフォルニア州の酪農家デモス・シャカリアンによって生まれました。デモスの父アイザックによって三頭の乳牛から始められたリライアンス酪農場は、個人経営の酪農場としては、世界最大のものになりました。ビジネスの拡大によって、デモスは非常に忙しくなりました。しかし、神から与えられた召しに従いたいと願っていたデモスは、主に仕えることを生活の中心にしていました。
 一九四〇年代には、デモスとローズは、いくつかの天幕集会のスポンサーとなりました。そのような集会でに参加していつも気づいたのは、女性が圧倒的に多いということでした。彼が毎晩毎晩人で埋まった天幕の群衆を見ると、一〇対一の割合で女性が多かったのです。
 デモスはこの問題を、チャールズ・プライス博士と語りました。プライス博士は、「アメリカの男性たちは、いろんな領域で熱心で成功を収めているのに、キリスト・イエスにある神の高い召しをなぜ軽視するのか理解できない。」と説明しました。ししかし、彼は続けて言いました。
 「デモス。あなたは聖書に預言されている最も偉大な出来事を目の当たりにします。『終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。』これは、あなたの生きているうちに起こり、あなたはその一端を担います。」
 一九五一年秋に、デモスは、ロサンゼルスで伝道者オーラル・ロバーツのキャンペーンを手伝っていました。ある晩、ご奉仕が終わり、一緒にコーヒーを飲んでいるとき、デモスは心にある重荷を分かち合いました。それは、信徒が信徒に伝道をするという組織のことでした。配管工が配管工に伝道し、セールスマンがセールスマンを導くのです。
 オーラルは尋ねました。
 「良い考えだね。その組織をどう名付けるんだい。」
 デモスは答えました。
 「フルゴスペル・ビジネスメンズ・フェローシップ・インターナショナル!」
 オーラルは、その発足の手助けに同意し、伝道集会を閉じる日曜日の前日である土曜の朝、クリフトンズ・カフェテリアで最初の集会を行うことにしました。オーラルもデモスも、集った男性が二一人だけだったので、驚きました。
 デモスは、土曜日ごとにクリフトンズで朝食会を続けました。しかし、最初の年には全く絶望的な状態でした。集う人々は少なく、諸教会からは反対があり、献金もありませんでした。何をしてもうまくいきませんでした。 

 

ビジョン

 ついに、デモスはあきらめるときが来たと思いました。最後になるはずだった土曜日の集会の前日の夜、デモスは神から御声を聞くまで祈ろうと決心しました。
 彼が祈り出すと、天国が降りてきたようでした。そして、ビジョンが現れました。彼の人生とFGBMFIを全く変えてしまうビジョンでした。
 そのビジョンの中で、彼は世界中に連れて連れて行かれました。彼が大陸を通り過ぎるにつれて、何百万人という人々を見ました。それから、ちょうどズームレンズで見るように、一人一人がはっきりと見えてきました。黒い顔、茶色い顔、黄色い顔、白い顔が、死に閉じこめられているかのように固く、命のない状態でした。

 それから、彼はもう一度地球を一周させられました。今回は人々は上を見上げ、目は喜びで輝き、手は神をほめたたえながら上げられていました。死が命に移ったのです。
 その時、ローズがその部屋にいて、オルガンを柔らかく弾いていました。それから、彼女は預言をしました。「あなたは主の御心の中にいます。あなたはこの故に生まれたのです。」それから、彼女は異言で語り、預言をしました。「あなたが見たことは実現します。」
 翌朝、クリフトンズの雰囲気は変わっていました。今まで「FGBMFIのためにはびた一文も払わない。」と言っていたアーガンブライトが、デモスに千ドルの小切手を手渡し、「FGBMFIが世界中に広がらなければならない。」と言うのでした。

 

一九五〇年代

 一九五三年から、チャプターは合衆国全土に広がりました。癒しの伝道者たちが、ミニストリーを行うところどころで男性信徒たちにチャレンジを与え、チャプターの種を蒔いていきました。チャプターが主催する集会では、聖霊に満たされた礼拝、賛美、ミニストリーが行われ、主が会員を次々と加えてくださいました。集会にあふれ流れている愛は、ロータリークラブなどの男性の集会にはないものでした。
 一九五四年の大会が首都ワシントンで開催されたとき、チャプターの数は前回の大会の時の二倍になっていました。講師にはアルゼンチンでのすばらしい伝道大会を終えたばかりのトミー・ヒックスに加えて、オーラル・ロバーツ、ウィリアム・ブレンハム、A.C.ヴァルツ、ジャック・コウなどがいました。
 夜の大会についてデモスは語っています。
 「毎晩ホールではすばらしいメッセージが語られ、癒しの奇跡が数多く起こりました。ヴァルツはその誠実で雄弁なメッセージを通して多くの会衆の心をつかみ、コウの大胆な信仰メッセージを通して劇的な癒しが起こり、ブレンハムの霊を見分ける賜物といやしのミニストリーが顕著な現れを起こしました。」
 もう一人の特別ゲストは、当時合衆国の副大統領だったリチャード・ニクソンでした。
 FGBMFIは、アメリカのキリスト教界の一つの勢力となりつつありました。デモス・シャカリアンは合衆国をくまなく回り、FGBMFIを紹介しました。
 この一九五〇年代の末に、アメリカの教会に聖霊による刷新運動(カリスマ運動)が始まりました。そして、次の十年間には、FGBMFIがその運動の推進力として脚光を浴びることになります。

 

一九六〇年代

 カリスマ運動が世界中に拡大した一九六〇年代に、FGBMFIの教会の影響力はきわめて大きなものになりました。キリスト教団体のすべてがこの運動に触れましたが、当初大多数の既成教会には、聖霊体験が聖書的であると受け入れる準備がありませんでした。聖霊体験をした牧師、宣教師、教会員が、自分たちの団体から追放されることがあったのです。これらの人々はFGBMFIに自分たちの働き場所を見出していきました。
 一九六五年以来、FGBMFIは文字通りインターナショナル(国際的)になっていきました。フルゴスペルビジネスマンとその家族四百名が三機のジェット機に分乗し、ロンドンで開催されるFGBMFI世界大会に参加したのです。そして、そこを拠点として、ビジネスマンたちがヨーロッパ各地に送られました。その結果、何千人もの人々が救われ、いやされ、聖霊で満たされました。
 翌年にはより多くのエアリフト(アウトリーチ)がヨーロッパに、アフリカに、アジアに向けて行われるようになりました。そして、そのようなエアリフトは、現在まで続けられています。
 一九六〇年代に行われたもう一つの重要なエアリフトは、戦時下のベトナムに向けて行われたものでした。最も危険な攻撃のさなかに、三二名のフルゴスペルビジネスマンがこのエアリフトに参加し、神が次々と奇跡を起こしてくださるのを目の当たりにしました。彼らはベトナム中を回り、子供たちに、病人たちに証しをしていきました。彼らの証しを通して、サイゴンの前線に向かう六五人の男性たちが、イエス様を主と告白しました。
 一九六〇年代の後半には、FGBMFIカトリックのカリスマ運動の推進力となりました。ピッツバーグのカトリックの教授たちが聖霊体験をしたとき、ノートルダムの学生や教授たちが、その説明をしてくれる人を探しました。彼らはFGBMFIの理事であり、インディアナ州のサウスベンドチャプタープレジデントであったレイ・ブラードに会いました。レイは自宅に彼らを招き、教えと祈りをしました。そのとき彼らは聖霊のバプテスマを受け、それがきっかけとなってカトリック・カリスマ運動となっていったのです。それ以来、約七千万人のカトリックが、聖霊の力に触れられているのです。

 

一九七〇年代

 一九七〇年代には、世界中にエアリフトが行われ、また、アメリカ社会における影響力も大きくなっていきました。その一つの道具は、「グッドニュース」というテレビ番組でした。この番組は一五〇のテレビ局、七〇のラジオ局に加えて、CBNやPTLなどのクリスチャンケーブルネットワークで放送されました。
 定期的なテレビ番組に加えて、「グッドニュースアメリカ」や「地上最大の成功者」、「ターニングポイント」などのスペシャル番組が放映されました。「グッドニュースアメリカ」は、アメリカの視聴率トップ一〇〇に入り、エミー賞を受賞しました。
 いうまでもなく、このような番組では、救われた人々の家庭が変わったという証しが放映されました。アメリカや他国のFGBMFIのチャプターはテレビの放映権を買い、自分のコミュニティで「グッドニュース」を放映しました。FGBMFIのラジオ番組は二二カ国語に翻訳され、ヨーロッパ、南アメリカ、アジアで流されました。世界一二憶の人々を一九七〇年代末までに福音を伝えることをゴールとしていました。
 一九七〇年代に生み出されたもう一つの重要な道具は、デモスの自伝である『地上最大の成功者』でした。この本は二五カ国語に翻訳され、多くの読者を得ました。
 FGBMFIの活動を通して、デモスは世界の政治、経済の指導者たちに影響を及ぼしました。FGBMFIを通してキリストに触れられた人々の中には、大統領、王、運動選手など、さまざまな人々がいました。

 

一九八〇年代

 一九八〇年代初頭にFGBMFIは、カンザスシティで行われた超教派のカリスマ刷新教会大会に参加しました。そのスタジアムには、ペンテコステ派ばかりではなく、プロテスタントやカトリックのカリスマ系の人々が五万人集いました。北アメリカ刷新委員会の会長であるサイナン博士は、その場所に集っていたほとんどの人々が、何らかの形でFGBMFIを通して聖霊の体験に導かれたと書いています。
 一九七〇年代末に始まった国際本部ビルの建築は、一九八〇年代初期に完成し、献堂されました。献堂式にはパット・ブーンが司会をし、オーラル・ロバーツが記念メッセージをしました。祝辞がカーター大統領やサダトエジプト国王などから寄せられました。
 この会堂建築にかかわる証しは多くありますが、その中でも興味深いものは、建築監督であったフレッド・レーダーのものでしょう。カリフォルニアから来て無報酬で働いていたフレッドは、建築中の建物に目を留めて立ち止まった人々にキリストの証しをしました。ビルが完成するまでに、彼は二〇〇人に証しをし、五人をキリストに導き、そのうち一人に聖霊のバプテスマを導きました。
 一九八〇年代末には、世界に二六四六チャプターがあり、毎月のメンバーズミーティングには七〇万人が集い、伝道集会を通して一〇億人に接触したと推測されています。

 

一九九〇年代

 一九九三年七月二三日、デモスは八〇歳で天に召されました。神から与えられたビジョンに忠実に従ったデモスは、文字通り世界何憶もの人々に影響を与えて、勝利の凱旋を果たしたのです。デモスの生前の指名によって、規約に従い息子のリチャード・シャカリアンが二代目会長となりました。
 墓地で行われた礼拝のメッセンジャーはオーラル・ロバーツでした。
 「デモスはこの世を去る前に、すべての備えをして自分の外套を息子のリチャードに手渡したのです。リチャードが二代目のFGBMFI会長として、FGBMFIの働きは弱まることなく、新たな力と油注ぎによって前進するのです。創立者であった指導者はついに私たちすべてを造られた方のもとに迎えられました。そして、デモスは神とともに『前進せよ』と語っています。」
 FGBMFIの働きは、もはやアメリカ中心の働きとは言えなくなりました。特にアフリカで、ラテンアメリカで、おびただしい数のチャプターが新しく生まれてきています。そして、FGBMFIを通して行われるアウトリーチはもはや国家に影響を与えるほどになっています。一九九八年にはハンガリーを揺るがす大アウトリーチが、そして一九九九年五月にはニカラグア大アウトリーチが行われ、リバイバルの一端を担っています。
 二〇世紀半ばにともったFGBMFIという聖霊の灯火は、今世界を行き巡っています。そして、デモスのビジョンは日本においても実現していくでしょう。世界一五〇カ国を結ぶビジネスマンネットワークを通して、日本のビジネスマンたちが証しと聖霊の力を携えて世界に出て行くときは間近です。